400万円で実家が売れた。引き渡し日も決まった、と思いきや……
さすが仲介業者さん、餅は餅屋、このあたりの流れはスムーズです。やがて、うちのボロ家にも買い手候補が現れました。
築75年の上物に価値はないので、一度更地にして小さなおうちを建てるのだと聞きました。祖父の家は田舎とはいえ、JRのまあまあ主要駅から歩けないことはない遠いが! という物件。
幸いなことに近くにまあまあ大きな病院も、ショッピングモールもありました。めちゃくちゃいい環境ではない。どっちかというと寂れてはいる。
しかしこれから若い夫婦が土地付きの家を建てるのには手頃ではあるし、なにより綺麗な長方形の土地で南側が道路に面しており、日当たりもいいです。売れんことはないだろう、と踏んでいました。
実際500万で売りに出していたところを400万でという申し込みがあり、叔父と父も納得の上売買契約書が作られ、いよいよ引き渡し日も決まりました。ここまでくると私も、ああよかった伯父か父が死ぬまでに現金化できて、と安心して契約完了報告をまつだけの状態だったのです。
ところが、これが地獄の始まりでした。
400万円で引き渡し日も決まっていたのに……「残念ですが、お取引はできなくなりました」
すんなりことが進むと思われたあるとき、不動産屋さんから一本の不審な着信がありました。てっきり契約完了報告だと思って折り返したならば、
「大変残念ですが、お取引はできなくなりました」
えっっっっ、ど、ど、どゆこと???
先方さんがローン通らなかったとかそういうことなのかな、と思って(しかし実際住宅ローンは400万以下の物件は通らない)事情を聞いてみると、予想外の事態になっていました。
「松本さん(仮・うちの祖父)のお宅は、じつは接道義務を満たしていなかったのです」
「せつどうぎむ」
「接道義務です」
【接道義務】
建物の敷地は、建築基準法上の道路に2m以上接しなければならないと定められていること。この「建築基準法上の道路」というのがポイント(詳しくは本書参照)。建築基準法第43条第1項に規定されている。
【400万円以下の物件は通らない】
住宅ローンの借入金額設定は銀行によって条件が異なるので確認しよう。
「え、だって家の目の前道ですよね」
「そうです」
「あれはなんですか?」
「道のように見えますが、じつは違います」
な、な、なんやて????
そんなばかな。祖父の家は小さいとはいえ30坪ほどはあり、きれいな長方形をしていて、南側の長い面が道路に接している。その車道も車が2台すれ違うのにギリギリではあるが、一般的なアスファルト舗装の道で、ごくふつうに車は走っているし、なんならそのへんのおばちゃんだって子どもだって駅やスーパーへ行くのに通行しているではないか。あれを道といわずになんと言うのか!
「ちょっと複雑なので、お会いして説明させてください」
わけがわからない我々は、すぐさま時間を作って不動産屋さんにおしかけた。そこで我々を待っていたのは土地の登記簿謄本だった。
【土地の登記簿謄本】
土地、家、マンションの所有者や担保、大きさや構造などが記載された公的な文書のこと。時代の変遷により、現在は「登記事項証明書」と呼ばれることが多い。
いま私たちが売ろうとしている祖父の家は、祖父が結婚し商売を始めたころに建てた築75年以上の古いものだ。
登記簿謄本には、祖父の前の持ち主や、祖父が死んで伯父と父が相続したことをはじめ、権利の移転などの情報が記録されている。
私たちは当然なめるように目を通し、
「……いや、べつにヘンなところないですけど」
「いえ、松本さん(仮)の登記簿は問題ないのです。問題なのはお隣の家です」
「隣……」
たしかお隣は亡くなった祖母の元実家で、現在父のいとこ夫婦(A家)が住んでいるはずである。親戚づきあいはまったくないが。
「じつは、お隣の家が、松本さんのご自宅の前面道路と、所有する土地を市と交換したのです」
衝撃の事実。っていうか、初耳。
「え、え、どういうこと?? 交換??」
「どうも道路の拡張工事をしたかった市が、お隣のA家の道路側の土地を譲ってもらうかわりに、松本さんの家の前の道路を交換したみたいです。ですので、厳密にいうと松本さんの家の前の道路は道路ではなく、Aさんの私有地です」
「私有地」
「公道に接してる部分はありません」
「そんなことある⁉︎」
いや、しかしそんなことは実際にあった。登記簿ではたしかに家の前はA家の土地になっており、我が家の敷地の前面は一ミリたりとも公道に接していなかったのである。
【公道に接していなかった】
見た目は「普通の道」でも、この場合は、建築基準法で定められた規定を満たしていない私道なので、接道義務が果たされていない。
まさかの展開で売れない実家
「いや、そんなことある???」
さすがにこれはひどい。公を名乗る団体が善良な一市民に対する仕打ちではないと思う。だって、そんなことをすればうちが、のちのちどんな目にあうか、考えなくてもわかるだろう。公道に接していない家は再建築不可物件になるのだから。
呆然とする私、父、叔父、そして母。そしてその前を悠々と通り過ぎる近所のおばあちゃん。
「おばあちゃん通ってるが???」
私たちはおばあちゃんを見送ったあと、あれはどういうことだと不動産屋さんを激詰め……はしなかったけど食いつくように聞いた。
「あれどういうことですか、学校帰りの子どもも通ってますよね。でもそこは私有地では?」
「ああ、それはみんなが通れなくなったら困惑するだろうと、市とA家が話し合って私道通行権の許可を出したみたいですね」
俺らも困惑してるます‼
困惑してるます‼
しかし、我々の困惑は市にはいっさい考慮されなかった。つまり、A家は近所の人もいままで通り通れるように通行許可を出した。(これを私道通行権と通行許可といいます)だからうち以外の人はなんら変わっていない。変わったのはうちだけ。祖父が亡くなり、伯父と父が相続したあと、ひそかに市と隣家がぶつぶつ交換をして再建築不可になったうちの家だけ!
我が家は激怒した。
「これはもう市を相手に裁判するしかねえ!!!!!!」
もし、私が直木賞作家でありあまる富を有していたら、話のネタに市を訴えていた可能性もあった。だってこんなことある??
道路を拡張したいならちゃんと土地を買収しなさいよ。道路と交換すな!
しかし私は残念ながら直木賞作家でもなく、大学受験を控えた高校生に湯水のように教育費を溶かされる無力な一般家庭……。市を相手取って裁判している余力も資金も気力もない。
かくして、決まっていた買い手さんも「再建築不可ならちょっと……」と去って行き、不動産屋さんも「築75年の再建築不可物件は難しいですねえ」とフェードアウトしていった。
残されたのは、伯父の遺物で足の踏み場もない築75年の売れないゴミ屋敷のみ!
「……これは、詰んだのでは?」
あまりの絶望感に伯父は寝込み、父はさじをなげ、そうして二年。
だれも、どうしようもないと思っていた家を、私は自分の手で売ったのです。
高殿円先生のエッセイがもっと読みたい人はこちらもどうぞ!私の実家が売れません!定価 1,600円+税 著者 高殿円 ページ数 192 判型 四六判 発行年月 2024/7 ISBN 9784767832982 |
【『私の実家が売れません!』あらすじ】
郊外築75年、大量のガラクタ、恐怖の再建築不可物件……。
残された実家は超問題だらけ!!
笑いと涙、前代未聞の実家じまい本!
維持費に相続手続き、片付けに親族問題、税金対策に売却まで、
いま話題の”実家じまい”問題に
ドラマ&漫画化多数の人気作家・高殿円氏が挑み、
リアルな実体験を綴ります。
親戚トラブルの回避、税金に相続問題、長年放置している家財の片づけ方、
不動産仲介業者に断られた物件を意外な場所で売る方法まで……。
不動産の専門家による解説を収録し、
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”実家じまい”のお悩みを全解決する、
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新感覚の人情派「実家じまい」エッセイです。
【著者】
著者/高殿 円(たかどの・まどか)
兵庫県生まれ。2000年『マグダミリア三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しデビュー。13年に『カミングアウト』で第1回エキナカ書店大賞を受賞。主な著作に『トッカン』シリーズ、『上流階級 富久丸百貨店外商部』シリーズ、『カーリー』シリーズ、『シャーリー・ホームズ』シリーズ、『メサイア 警備局特別公安五係』『剣と紅 戦国の女領主・井伊直虎』『主君 井伊の赤鬼・直政伝』『政略結婚』『コスメの王様』『戒名探偵 卒塔婆くん』など。漫画原作も多数手がけている。