ねたましさから弟を殺したカイン
兄カインと弟アベルの関係は、彼らの父アダムと母エヴァの関係と同じように、先に生まれ出た方が後に生まれた方に心を配り、後に生まれた方は先に生まれた方を支える、その相互性を神は望んでいたということがうかがえます。
しかし、カインは自分よりも弟の方が神に目をかけてもらっていると思い込み、悔しさと悲しさで我を失ってしまい、弟のアベルを殺してしまったのでした。
カインは神が自分の近くにいてくれていることに気がつけませんでした。とはいえ、カインの苦悩もわたしたち人間にはよく理解できる感情です。
古典的心理学者カール・グスタフ・ユングは、親からの愛情が年下の家族に向いているとつい錯覚してしまう現象を、カインとアベルの物語にちなんで「カイン・コンプレックス」と名づけています。
兄たちからの裏切りを許したヨセフ
旧約聖書の登場人物、ヨセフは父ヤコブから溺愛されており、他の10人の兄たちにねたまれて荒野の深い穴に落とされ、やがて身を売られエジプトに渡り出世しました。
時が絶ち、ヨセフが生きていることを知らない兄弟たちが食料を求めてエジプトにやってきました。
ヨセフはまだ彼らへの恨みを残していましたが、父ヤコブへの想い、母が同じラケルである唯一の弟ベニヤミンとの再会、兄たちが後悔していることを目の当たりにし、ヨセフは家族への愛情をあらためて強く感じたのでした。
また、自分が家族よりだいぶ先にエジプトに来て才能を発揮して国の上層部に就任したことも、そしてそのために地域の大飢饉を回避でき、自分が父ヤコブをはじめとする家族を助けることができたのも、そのすべてが神によって定められた意味があったのだと理解し、兄弟たちの行為を許すに至ったのでした。
理不尽な苦しみの中にあっても神を信じ続けたヨブ
誰よりも正しく生きていたヨブという男がいました。サタンの画策により、家族も家畜をはじめとする財産も自分の健康をも失いました。
苦しみの中にあってもヨブは神を呪いはしませんでした。ずっと神を信じ続けていました。
3人の友人は苦しむヨブに寄り添ってくれましたが、最後にはヨブにも落ち度があったのではないかと責めてしまいます。苦しむ人に寄り添うのはときにたいへん困難なことですが、ヨブ記では最後に神が和解のチャンスを与えたことでヨブと友人の関係回復が実現されています。
このヨブのような正しく生きているはずの人がこの世界で苦しむことがなぜしばしばあるのか、神の正義はどこにあるのか。その問いについて論じることを神義論と呼びます。ヨブ記はその神義論を展開する古典的文学作品の一つとも言われています。
師であるイエスを裏切ったユダ
イスカリオテのユダはイエスの活動の初期から彼に従っていた十二弟子の1人であり、一行の資金を預かって管理する役割を担っていました。
なぜ師であるイエスを裏切ったのかには諸説ありますが、福音書に記されている「金銭に釣られた」という説、イエスがその類まれなる力を用いて社会に革命をもたらしてくれると思ったのにいつまで経ってもその気配がないため、イエスを敢えて追い詰めて真価を発揮してもらおうとしたという説ほか様々な仮説があります。
『ルカによる福音書』や『ヨハネによる福音書』では、ユダの裏切りをサタンによる仕掛けであると記しており、その行為は個人の感情を越えたものとしています。
『ユダの福音書』という紀元3世紀の異端文書は、イエスを裏切ったイスカリオテのユダは、実はイエスから最も深く真理を教えられていた者であり、ユダがイエスを引き渡したのも元々イエス自身が彼に命じたことであったと記しています。
ユダが弟子になったのはイエスの十字架と復活のための必然という理解は空想ではありますが、画期的ではありました。
マグダラのマリアという、普通の女性
イエスは、性差に基づく女性たちへの理不尽な社会的制裁を常に批判し、止めさせました。
世のすべてのものは造られたもの(被造物)であるため、人間の様々な権力的上下関係も数々の差別も批判しています。
男性優位の社会で女性が権利を認められないのも、イエスの目には不自然なことでした。
イエスは女性も男性も等しく神の前に在るという立場で様々な言動をしています。
イエスに救われた女性の筆頭がマリアでした。マグダラのマリアが芸術作品で「罪の女」として描かれることがあるのは、ルカによる福音書7章36-50節で「罪深い女」が登場し、直後の8章2節で7つの魔霊に憑かれたこのマリアが登場することから、この2人が同一人物であると理解されたためです。
現代の価値観からすると彼女に何の罪があったのかは分かりませんが、イエスはその罪を赦しました。
聖書の中のマリアは「罪の女」ではなく、他の従者たちとともにイエスに仕えたうちの普通のひとりの女性でした。エルサレムにもイエスとともに上り、その最期を見守り、復活の知らせを受け取る最初の人となったのです。
あなたに似た人が見つかるかも
『聖書』には嫉妬、裏切り、妬みといったマイナスの感情に支配され、衝動的に悪い方向へ動いてしまった人々の物語が多く存在します。その一方で裏切りを許す人、苦しみの中にあって信仰を捨てない人、懸命に生きる人の物語も多く記されています。綺麗なだけではない、ありのままの人間の姿を書ききった書物です。
聖書の中にあなたに似た人が見つかるかもしれません。その人の生き方は、あなたの今後の人生に勇気を与えることでしょう。ぜひ『聖書の解剖図鑑』を手に取って探してみてください。
そうすれば、汲めども尽きぬ泉のような聖書がまるで「私たちの物語」として身近に感じられるはずです。
定価 1,800円+税
著者名 山野貴彦(文) 飯嶌玲子(絵)
ページ数 180
判型 A5判
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著者プロフィール
著者 山野貴彦(やまの・たかひこ)
1976年東京生まれ。立教大学文学部キリスト教学科および大学院組織神学専攻博士課程、ドイツ・テュービンゲン大学プロテスタント神学部での研究を経て、現在聖公会神学院専任教員。桜美林大学等兼任講師。
専門は新約聖書学および聖書考古学。著書に『図説 聖書』(共著、学習研究社)、訳書に『古代のシナゴーグ』(教文館)、『初期キリスト教の宗教的背景 上』(共訳、日本キリスト教団出版局)など。
絵 飯嶌玲子(いいじま・れいこ)
広告代理店にデザイナーとして勤務した後、独立。広告やパッケージのデザインを手掛ける傍ら、イラストレーターとしての活動を開始。
言語化できないイメージをビジュアル化して提示するだけでなく、まだイメージに表れていないものまで表現することを目標に制作をしている。
現在は哲学や禅、日本画の学びを生かし、日本の美意識を伝えるイラストやデザインの制作でも活動中。