幽霊と人が共存してきた英国。ロンドン一有名な幽霊屋敷、バークリー・スクエア50番地の屋根裏部屋には今日も何かが現れる。

ロンドン生まれの小説家・織守きょうや先生の連載『英国の怖い家』を【建築知識】にて好評連載中です。
当連載では英国の中の有名な「幽霊の住む家」の物語を辿り、英国の文化と歴史を見つめます。イラストは数多の英国の住宅を訪問し、その魅力を描いてきた山田佳世子さん。
第一回「バークリー・スクエア50番地」を全文公開します。残暑の時期にぴったりな幽霊譚をぜひお楽しみください!

文・織守きょうや イラスト・山田佳世子

バークリー・スクエア50番地

日本人にとって幽霊はとても恐ろしい存在だ。あまりかかわりたくないと思う人が多いことだろう。しかし英国では、人と幽霊がずっと共存してきた。
幽霊が住む「家」の物語を辿ると、英国の文化と歴史が見えてくる。

ロンドンの高級住宅地メイフェアの中心、バークリー・スクエアの50番地にある建物。1750年に建築家ウィリアム・ケントが設計し建てられた。 4階建て(地下1階)のジョージアン様式の建築。英国を代表する稀覯本【きこうぼん】古書専門店のマグス・ブロスの店舗だったこともある。 イラスト・山田佳世子

ロンドンで最も有名な幽霊屋敷

 19世紀のロンドンにおいて、最も有名な幽霊屋敷と呼ばれていた建物は、市内の高級住宅地メイフェアの中心、バークリー・スクエアの50番地にある。地下鉄グリーンパーク駅のすぐ近くの、静かで上品なエリアである。
 建物は、建築家ウィリアム・ケントの設計により、1750年に建てられた。4階建て(地下1階)のジョージアン様式で、およそ幽霊が出そうには見えない。しかし、この建物はかつて、手入れもされずに放置され、壁も窓も埃で真っ黒に汚れて、道行く人がぎょっとして思わず足を止めてしまうほどに荒れ果てていた時期があった。
 その当時、この館では幽霊の目撃談が絶えなかった。様々な目的で屋根裏部屋に入った者たちが次々とおかしくなり、死んでしまったという話も数多くある。それらのどこまでが本当の話なのか、この館には本当に幽霊が出るのか、出るとしたら誰の霊なのかは、これまで何度も議論になってきた。後世の、あるいは当時の作家等によって創作された話もあるだろうし、そうでなくともかなり誇張されていると思われる。しかし、ロンドン一有名な幽霊屋敷と呼ばれるほどだったのだから、噂のもとになった何かは存在するはずだ。

 屋根裏部屋の幽霊たち

 この建物が幽霊屋敷として知られるようになったのは19世紀後半からで、幽霊の目撃情報のほとんどが屋根裏部屋に集中している。最も知られているのは、叔父からの虐待に耐えかねて窓から身を投げたとされるアデラインという女性の霊だ。彼女は茶色い霧となって、あるいは白く光る姿で現れ、自身の死の瞬間を繰り返したり、室内の家具を動かしたり、ノックなどの物音をたてたりするという。また、屋敷の使用人に殺された子ども(スコットランド・チェックの服を着た少女)の霊、屋根裏部屋に監禁されておかしくなった青年の霊が出るとも言われている。
 実際に、この建物で自殺した女性や殺された子どもがいたのかどうかはわからない。しかし、屋根裏部屋に監禁された青年については、具体的なエピソードが伝わっている。1931年に「Haunted Houses」という本を刊行した作家チャールズ・ハーバーの聞き取り調査によると、この建物はかつて、ウィルトン・パーク(英国政府の行政機関。国際問題の解決などが主な業務内容)のデュプレという人物の所有だったという。彼はこの館の屋根裏部屋の一つに、精神に異常をきたした兄弟を閉じ込めていた。暴れるので、誰も部屋に入れず、食べ物は壁に空いた穴を通して与えていたそうだ。その恐ろしい叫び声は、近所の人や通行人にも聞こえることがあったという。館で目撃された青年の霊は、この監禁された兄弟であるとされている。

バークリー・スクエア50番地の屋根裏部屋には、本日も何者かが潜んでいる。
イラスト・山田佳世子

婚約破棄され心を病んだ住人

 デュプレの何代か後に住人となったのが、トーマス・マイヤーズという、結婚を間近に控えた男性だった。幽霊の噂が流れ始めるのは、彼が住人となった後からだ。彼の親類だという女性、ドロシー・ネヴィルの書き残したところによれば、マイヤーズは婚約後に、妻との新居とするためにこの建物を購入した。家具調度品も買いそろえていたが、婚約者だった女性は別の男性と結婚するため、一方的にマイヤーズとの婚約を破棄してしまう。このショックで彼は心を病み、下男に食事を運ばせて昼は屋根裏部屋に閉じこもり、夜になるとろうそくに火をともして屋敷の中をさまよい歩くようになった。
 1859年から約15年もの間、そんな暮らしが続いた。手入れされなくなった館は荒れ果て、人が住んでいるようには見えないほどだったので、一部の近隣住民から空き家だと思われていたという。1873年に一度、マイヤーズは税金の滞納を理由に捜査の対象となるが、幽霊屋敷と噂される荒れ果てた館に一人で暮らす彼に行政官が同情し、取り立てを行うことなく調査を終了したと言われている。
マイヤーズはこの後まもなく(18746月)、76歳で亡くなった。妹が屋敷を相続したが、高級住宅街の中という立地のよさにもかかわらず、空き家のままにしていた。そのころにはすでに、この館には幽霊が出るという噂が広まっていた。

 二丁の散弾銃と魔除けの六ペンス銀貨

 真偽はさておき、この館の屋根裏部屋で恐ろしい目にあったという人たちは何人もいる。素姓のはっきりしているところでは、政治家のジョージ・ウィリアム・リトルトン卿(18171876)が幽霊の噂を聞いて興味を持ち、あるいは賭けのために、この館の屋根裏部屋に泊まったと言われている。
彼は散弾銃を二丁用意して、片方に弾丸を、片方に魔除けの六ペンス銀貨を装填して待ち構えていた。夜中、暗闇で何かに襲いかかられ、発砲したが、翌朝明るくなってから見ても、室内に弾丸の痕はなかったそうだ。
 なお、リトルトン卿が屋根裏部屋に泊まったとされているのは1872年のことであり、マイヤーズがまだ生きていたころである。人付き合いを断って閉じこもっていたというマイヤーズにどう交渉したのかはわからないが、これが事実なら、彼の生前から、すでに、館には幽霊が出ると噂されていたことの裏付けになる。なお、この夜、リトルトン卿は無事だったが、その4年後、彼はロンドンの自宅の階段から身を投げて59歳で自殺している。

 部屋の真ん中で発狂するメイド

 マイヤーズの死から5年後の1879年に発売されたメイフェア・マガジン(英国で刊行されている男性向けの雑誌)では、このバークリー・スクエア50番地が有名な幽霊屋敷として紹介されている。この時点で、報告される怪現象は片手で足りないほどになっていた。
 たとえば、こんな話がある。マイヤーズの次の住人の時代に、新しく雇われたメイドを屋根裏部屋へ寝かせていたら、悲鳴が聞こえ、家の者たちが駆けつけると彼女は部屋の真ん中で棒立ちになり、震えながら一点を見つめてわけのわからないことを口走っていた。このメイドは二度と正気に戻らなかった(病院に運ばれたが死亡した、とも言われている)。
 この事件の後、屋根裏部屋には錠がかけられたものの、館には人が住み続けた。あるとき館でパーティーが開かれ、客の一人であったロバート・ウォーボーイズ卿が怖いもの見たさから屋根裏部屋で一晩過ごすと言い出した(別人のバージョンもあるが、いずれも貴族である。また、このとき館は空き家で、彼らは肝試しのため無断で館に集まっていたとするバージョンもある)。一定の時間が経った後、何ごともなければ、部屋に設置されたベルを一度だけ鳴ら。二度鳴った場合は、誰かが様子を見に行くことにする、とルールを決めた。彼が屋根裏部屋に入ってから一定の時間がたち、一度だけベルが鳴ったので皆がほっとしたところ、そのすぐ後に、狂ったように何度もベルが鳴り続けた。皆が駆けつけると、かつて死んだメイドが立っていたのと同じ場所で彼もまた、恐怖の表情を浮かべて死んでいた。

誰もこの部屋で寝てはならぬ

 これらの事件の噂はロンドン中に広まり、話が膨らみ、この部屋で眠ると皆正気を失って死ぬと噂された。それでもここを借りようとする人間はときどき現れたが、結局皆逃げ出し、やがて、家賃が相場以下どころか、2年目まで無料(住人が逃げ出さなかった場合3年目から一定額が発生する)という破格の条件で貸し出されるようになったという。
 これもメイフェア・マガジンに掲載されていたエピソードだが、父親と二人の娘でこの館に移り住んだベントリーという家族も、館で怪現象を経験している。ベントリー家の下の娘は一歩足を踏み入れたとたん、「動物園の檻のようなにおいがする」と言ったそうだ。引っ越し後まもなく、姉娘の婚約者であるケントフィールド船長がこの家に同居することになったが、引っ越しの前日、メイドが屋根裏部屋を掃除しているときに悲鳴をあげ、床に倒れて「それを私に触らせないで」とうわごとを言い始めた。彼女は翌日、病院で亡くなった。
 引っ越してきたケントフィールド船長は、勇敢にも屋根裏部屋で休むことにしたが、部屋へ入って30分で彼の悲鳴と銃声が聞こえ、皆が駆けつけると船長は銃を握ったまま死んでいた。室内に、銃弾の跡はなかったという。

 「大きな黒い何か」に襲われた男

 似たような話がいくつもあり、登場人物の名前や素姓など、細部が違うバージョンや、複数の話が混同されて別の話になったバージョンも伝わっている。しかし、いずれの話においても、屋根裏部屋で死んだとされる人々が何を見たのかは謎のままだ。
 唯一、1887年のクリスマスに、ポーツマスから来た、英国海軍巡回船HMSペネロピの二人の船員、エドワード・ブランデンとロバート・マーティンが酔っぱらってこの館に忍び込み、一晩を明かそうとしたというエピソードにおいては、床を引っかくような音や、がたがたと激しく何かがぶつりあう音に続いて、階段を上ってきた足音が部屋の前で止まり、ドアが開くと大きな黒いものが部屋に入ってきてブランデンに襲いかかったとされており、屋根裏部屋に出るものについて「大きな黒い何か」だったと描写がされている(複数の触手を持つ巨大な蛸(たこ)のような何かだった、というバージョンもある)。
 この話の結末は、逃げ出したマーティンが警察官を連れて戻ると、屋根裏部屋の窓の真下の鉄柵に、首の骨が折れ傷だらけのブランデンが串刺しになっていた、というもので、バークリー・スクエア50番地にまつわるエピソードの中でも特にインパクトがある。しかし、この話には根拠となったとされる事件の記録が見つからず、ブランデンとマーティンの従軍記録もなかったことから、真偽が疑われ、後に作家エリオット・オドネルによる創作であったとされた。

 幽霊屋敷の真実はいずこに

 この話以外のエピソードについても、どこからどこまでが実話かはわからない。しかし、この建物で一夜を明かし、幽霊と対峙しようとした人たちの存在が燃料を投下して、館が幽霊屋敷であるという噂はますます広がり、ロンドン一呪われた館と呼ばれるまでになった。幽霊話の発端になったと思われるマイヤーズの親戚は、噂を否定している。
 幽霊の噂は、この屋敷で贋金(にせがね)を鋳造している一味がでっちあげたのだ、物音も贋金造りの音だ、という説もある。しかし、それよりは、マイヤーズが暮らしていたころに、夜中に物音を聞いたり、ろうそくの灯が動くのを見たりした人々が幽霊屋敷なのではと噂し始め、噂が噂を呼んだ、というほうがしっくりくる気がする。幽霊の目撃情報が、マイヤーズの閉じこもっていた屋根裏部屋に集中していることからも、館にマイヤーズが住んでいることを知らなかった人々が、空き家であるはずの建物から物音や灯が漏れていたことから想像をたくましくしたのが発端なのではないか。
  1939年からこの建物に入った、稀覯本を取り扱う古書店マグス・ブロス(マッグズ・ブラザーズ)の店員は、怪現象は何も起きなかったと証言している。2015年にマグス・ブロスがより大きな社屋へ移るため出ていってからは、建物はグレードⅡの物件として指定建造物(英国で特に建築上、歴史上重要であると法的に指定された建造物)のリストに記載され、近年怪奇現象は報告されていない。

 しかし、この家で目撃されたという幽霊や怪現象のすべてが作り話だったとは限らない。もとはただの噂だったとしても、ここに幽霊が出る、とロンドン中の人たちが信じた結果、本当に何かを見た人もいたに違いない。実際にこの家で自殺したり殺されたりした人間がいたかどうかは関係がないのだ。

ゴーストストーリーの謎を楽しむ 

 城のように、建物にもそこに住んだ人にも古い歴史があり、研究の対象となったり、記録が残されたりしているケースと違い、民間の建物の場合、そこにどんな人が出入りしていて、何が起きたのかを完全にたどることは難しい。そのため、民間の建物にまつわるゴーストストーリーは、その多くが記録に残らず、あくまで噂の域を出ないまま伝わっている。そういったものの常として、人から人へ伝わるうちに、枝葉がついたり、脚色されたりすることもある。真偽を見極めることは不可能に近いし、噂の出所や、根拠となった史実を確かめることも難しい。 
 しかし、それはそれで、趣があると言える。何もかもはっきりさせる必要はない。ゴーストストーリーを楽しむためには、「根拠が薄弱である」と無粋なことは言わず、わからないことはわからないままにしておくのがいいのだろう。
 とはいえ、例外的に、科学的な検証が繰り返され、記録も残されているような幽霊屋敷も存在する。連載第2回では、そういったごく例外的な幽霊屋敷について紹介したい。

 

『英国の怖い家』は建築知識で連載中!

幽霊が住む「家」の物語を辿る当連載。2024年8月20日に発売した【建築知識9月号】には『イングランド一幽霊の出る家、ボーリー牧師館』が掲載されています。
生き埋めにされた修道女の霊、壁に染み出す「助けて」という文字… 恐ろしい記録が満載の幽霊屋敷の物語です。ぜひお楽しみに!

 

ロンドン生まれの小説家・織守きょうや氏が英国の幽霊と城にまつわる歴史と、そこに隠された秘密を紐解いていく。 数多の英国の住宅を訪問し、その魅力を描いてきた山田佳世子氏がイラストで幽霊城を物語る。 英国の歴史の扉を開ける鍵となる一冊。

英国の幽霊城ミステリー

定価 2,000円+税
著者名 織守きょうや(文) 山田佳世子(イラスト)
ページ数 216
判型 A5判
発行年月日 2023/04/27
ISBN 9784767831367

建築知識2024年9月号 部位ごとに押さえる 建物を描くための建材・設備図鑑

定価 1,800円+税
著者名
ページ数 142
判型 B5判
発行年月日 2024/08/20
ISBN 4910034290949

著者プロフィール

文・織守きょうや(おりがみ・きょうや) 

1980年ロンドン生まれ。2013年『霊感検定』(講談社)でデビュー。2015年『記憶屋』(KADOKAWA)で日本ホラー小説大賞読者賞を受賞。ほかの作品に『黒野葉月は鳥籠で眠らない』(双葉社)、『ただし、無音に限り』(東京創元社)、『響野怪談』(KADOKAWA)、『花村遠野の恋と故意』(幻冬舎)などがある。『花束は毒』(文藝春秋)で第5回未来屋小説大賞を受賞

 イラスト・山田佳世子(やまだ・かよこ)

甲南女子大学文学部英米文学科卒業後、住環境福祉コーディネーターとして住宅改修に携わる。その後、町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー卒業、輸入住宅に従事する工務店で設計プランナーとして経験を積み、二級建築士取得。現在はフリーの住宅設計プランナーとして独立。著書に『日本でもできる! 英国の間取り』(エクスナレッジ)、『英国の幽霊城ミステリー』(イラスト担当、エクスナレッジ)などがある