【建築知識のたてもの探訪】歴史と文化を生かすリノベ術—銀山温泉 本館古勢起屋―

大正浪漫の郷愁を感じるノスタルジックな町並みで大人気の銀山温泉(山形県)。その旅館の1つとして、予約を取ることが難しい「本館古勢起屋」があります。大正時代に建築されており、老朽化が著しかったのですが、建築家・瀬野和広氏の手によってリノベーションされています。設計のコンセプトは〝元の姿をそのままに〞。その設計思想とポイントを探ります。

改修後の外観。形は一切変更されず、限りなく既存の仕上げ材・建具・看板を再利用して化粧直し。その面構えに建物の歴史がにじむ。夕景はまるで映画のワンシーンのよう

 

大正末期から昭和初期に建てられた和洋風の木造建築が、銀山川の両岸に軒を連ねる銀山温泉(山形県尾花沢市)は、〝大正浪漫〞の趣を残す温泉街である。銀山温泉「本館古勢起屋」は大正時代に建築され、昭和初期に増築された木造3階建ての旅館。築年数が100年を超えて建物の老朽化が進み、改修するに至りました。設計を指揮したのは、木造建築のリノベーションで多くの実績をもつ瀬野和広氏(瀬野和広+設計アトリエ)。コンセプトは〝元の姿をそのままに〞。

 

 

大正時代に旅館として建築された当時は、入母屋屋根(スギ皮葺き)の総2階建て

その後、昭和初期に総3階建て(屋根はトタン葺き)として増築された。基礎や上部構造には手を加えず、既存の屋根を撤去して3 階部分を増築(しかも唐門を撤去して、その真上にも2・3 階と屋根を増築)しただけなので、構造的には非常に不安定

 

「デザインの痕跡を残したいと考えるのが、設計者の性分。しかし今回の改修では、外部に一切手を加えていません。1階の腐食した部分は除いて、外壁・軒天井・木製建具・戸袋はクリーニングと補修したのみで、すべてもとのまま。それが、大正時代の名残を未来に継承するための最善策と判断してのこと」(瀬野氏)。

 

改修直前の十数年間、建物は使用されておらず、外観の老朽化も著しかった

 

一方、内部は現代の生活様式にも目配りして間取りを大胆に変更。地元の木材(西山杉)を多用し、外部との調和を図るなど、地域の歴史と文化を尊重して空間を設えました。

「西山杉は天然乾燥によって生産された製材です。細胞が破壊され、樹液成分(精油)が失われ、耐久性に劣るだけでなく、変色するため、木そのものの美しさがあるとはとても思えない人工乾燥材とは異なり、経年変化はしつつも、将来に渡って美しい建築の姿で人々をもてなすことでしょう」(瀬野氏)。

一新された銀山温泉「本館古勢起屋」。耽美芳しき〝大正浪漫〞がよみがえっています。ぜひ、一度、訪ねてみてください。

 

夜のとばりが下りた後の様子。温かみのある光が温泉街の幻想性を一段と高めている

 

 

BEFORE 倒壊寸前の建物が語りかけるもの

銀山温泉「本館古勢起屋」は、建築当時の低い耐震性能や無理な増築により、調査時には建物として利用できない状態でした。一方、経年変化が刻まれた木製建具や竿縁天井、鴨居、欄間などには、現在の木造建築では目にすることのない貴重な伝統の美が宿っています。

 

長期荷重で顕著にたわんだ躯体

玄関ホールから浴室の方向を見る。3 階の増築や積雪によって建物の重量が大きく増えたため、長期荷重によって天井が顕著にたわんでいることが分かる。垂壁のひび割れも確認できる

仮筋かいで補強された客室

客室。田の字形プランになっており、客室は敷居で仕切られているのみ。「改修前は今にも倒壊しそうな状態だったので、調査時には、建物の随所が仮筋かいによって補強されている状態でした」(瀬野氏)

木とガラスのファサードを構成する木建

ホワイエと階段(3階)。正面に見える腰付きの木製建具と欄間越しに、温泉街の風景が広がる。木製建具と欄間は、大正から昭和にかけての風情を表現するファサードの重要な要素にもなっている

強度的に不安な木製階段

2 カ所に設置された階段はいずれも木製。シンプルな側桁階段であるが、構造的に不安定であり、幅も750㎜ しかなく、共用階段としての使い勝手には問題があった。階段室廻りの天井は竿縁天井

入母屋屋根を支える小屋組

天井が解体された3 階から小屋組を見上げる。梁間方向の小屋組は、かつて木造の校舎などで普及していたキングポストトラス(中央に真束と呼ばれる支柱を立てた山形トラス)であり、6 寸勾の大きな屋根裏空間が広がっいる。桁行方向には筋かいが確認できる。野地板は昔ながらのバラ板が見える

 

内部は間取りを大胆に変更[Before→After]

解体直後の2 階客室。か細い柱の所々に断面欠損が確認できたほか、敷居を兼ねる小梁で柱が支えられているという非常に脆弱な状態。柱と梁の補強接合金物も取り付けられていない。断面欠損部分は埋木補修、もしくは新規柱の追加で対応した

土間コンクリート(耐圧版)を打設した後のロビー。腐食した柱は新設の柱(西山杉)にやり替え(一部化粧柱は根継ぎあり)

軸組を装い新たにした客室。間仕切壁は筋かい(片掛け・壁倍率2.0)で補強。この建物では、面材(片面張り・壁倍率2.5)も用いて2 種類の耐力壁を併用しているが、耐力壁のアスペクト比が3:1 を超える場合は面材、アスペクト比が3:1 以下でスパンが900㎜確保できる場合は筋かい、というルールで設計[※3]。結果として建築基準法(軽い屋根)に比べて約1.25 倍の耐力を確保した

 

※1  防火や安全、衛生上重要な建物の部位を示す用語で、具体的には、壁、柱、床、梁、屋根、階段を指す[法2条5号]。対して、構造耐力上主要な部分[令1条1項3号]とは、建築物にかかる荷重と外力を支える部分。基礎、基礎杭、壁、柱、小屋組、土台、筋かいや火打ち材などの斜材、床版、屋根版、梁や桁などの横架材を指す

※2  修繕とは、おおむね同じ材料を用いてつくり替え、性能や品質を回復する工事。模様替えとは、同じ位置でも異なる材料や使用を用いてつくり替え、性能や品質を回復する工事

※3  『木造軸組工法住宅の許容応力度設計(2017年版)』を参考にすると、筋かい耐力壁の場合、最小のスパン(柱間隔)は900㎜、高さは壁長さの3.5倍以下。面材耐力壁の場合、最小のスパンは600㎜、高さは壁長さの5倍以下とされている