幕府公認の遊郭「吉原」を覗いてみよう
日本堤から見返り柳を左手に見ながら衣紋坂を下り、五十間道をまっすぐ行くと、吉原の入口・大門がそびえたっています。大門を抜けたその先には、仲之町の通りを中心に茶屋や遊女屋が連なる、色恋と非情が渦巻く非日常の世界が広がっています。
望みがないと分かっていても遊女に恋してしまう、吉原の「からくり」とは?
足繫く通ってくる客をお相手する遊女たち。一晩に客が一人だけでは、採算が取れません。そこで、効率よく客をさばくためのさまざまな「からくり」がありました。たとえば、一人の遊女が一晩で数名を相手にするため、ちょっと酒のお相手をしてから次の部屋へ、というように部屋を廻っていく「廻し」。遊女本位で長居したりささっと次の部屋へ行ったりできたため、客はやきもきしながら部屋で待ち、遊女は怒らせないよう気を遣いながら客の浮き立つ心をくすぐっていたのです。それこそが吉原の本性であり、客の心をやきもきさせて夢中にさせる策略、ある意味での醍醐味だったのかもしれません。
一晩で数百万円?! お大尽遊びの内訳は?
格子越しに遊女を選ぶ、というのは時代劇でもおなじみのシーンかもしれませんが、上客はそんな遊び方はしません。上客はまず茶屋へ行き、お似合いの花魁を薦めてもらい、遊女屋から花魁を呼び寄せるという遊び方でした。茶屋で酒宴を開いた後、遊女屋へ移動してさらに酒宴を開き、その間に場を盛り上げてくれた遊女や取り巻きの新造たち、芸者、太鼓持ちなど、あらゆる人びとへご祝儀と代金を支払います。ほかにも季節の行事など折に触れてさまざまなご祝儀を払う風習があり、馴染みの客となれば衣装代や三つ布団代など花魁のためにさまざまな名目で貢ぎました。
吉原の「からくり」に遊女たちも苦しむ?
非日常の演出で客を楽しませ、お金を巻き上げる術に長けていた吉原。一方で遊女たちも吉原のからくりの一部として働いていました。客が付かなければその日の代金は自費となる「身揚がり」や、代金が2倍になる特別な日「紋日」に客に来てもらうための努力(もちろんこの日も客が付かなければ身揚がりとなります)、さらに花魁になれば装身具や衣装代、禿(かむろ)や振袖新造たちの養育費などもかさみ、客と恋仲に落ちようものなら命がけで止められ、年季が明けて自由の身になれたとしても元の世界には戻れず、身請けを夢見るしかない……華やかな世界には裏の顔も付き物なのかもしれません。
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遊び方にも流儀がある吉原。何も知らずに行ったのでは、遊ぶことはできません。遊女の等級、遊女屋(妓楼)の等級、客層、茶屋の仕組みから、裏方の人びとの仕事、遊女の色恋事情まで、遊郭のいろは、すべてがわかります!
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