【建築知識連載試し読み】朝ドラ「ばけばけ」の世界にタイムスリップ!小泉八雲とセツが暮らした思い出の家

「建築知識」紙版の公式通販開始を記念して、連載「八雲の愛した日本建築」の第2回目も無料公開!
小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)は、日本の怪談や日本の庶民文化を広く紹介したことで知られる明治時代の作家です。島根の松江で小泉セツと出会い、その後、八雲はセツとともに日本のあちこちを巡りました。本連載では八雲が愛しそこで過ごした日本の建築について、足跡をたどるように追っていきます。
文:田辺青蛙 絵:うめだまりこ

連載「八雲の愛した日本建築」は「建築知識」202511月号から連載中!

二軒目 小泉八雲旧居

開館時間:4月~9月:9:00~18:00(受付は17:30まで)、10月~3月:9:00~17:00(受付は16:30まで)/年中無休/住所:〒690-0888 島根県松江市北堀町315

 八雲は、庭のある武家屋敷にいつか住んでみたいと思っていた。
 宍道湖岸にある借家がそろそろ手狭になりはじめ、転居を考えていた時に、尋常中学校の教え子の根岸氏の家が借り手を探していることが分かった。
 家主の根岸干夫【ねぎし たてお】は維新後、島根各地の郡長を歴任しており、八雲がいた当時は、簸川郡【ひかわぐん】(現在の出雲市)の郡長をしていたため、ちょうど空き家になっていたのだ。
 場所は松江城の北側で、堀に面しており家賃は月3円と手ごろで、根岸家からは松江城の天守閣が見えた。周りの環境も静かだったことから八雲は気に入り、すぐにここに移ることを決めた。
 八雲はこの家で5か月を過ごした。

 「日本の庭」(『知られぬ日本の面影』の中で、この庭についてこう書いている。

【苔むした古い庭の塀は、その上の瓦の縁が崩れかけ、街のざわめきすらも遮ってしまうかのようだ。耳に入るのは鳥の声、 蝉のけたたましい鳴き声、あるいは長く間を置いて水に飛び込む蛙のぽちゃんという音くらいである。いや、この塀は私を町の通りからだけでなく、もっと多くのものから隔ててくれる。外には電信や新聞、蒸気船のある変わり果てた日本がざわめいているが、内側には自然の静けさと、十六世紀の夢が安らぎをもって息づいている。空気そのものにどこか懐かしい魅力が漂い、何か目に見えぬ甘やかな気配がそこかしこに満ちている。それは、かつてこの家が新しかった頃に、絵本に描かれたような姿の婦人たちがここに住み、 今は幽かな影となってさまよっているのかもしれない。夏の光が、灰色の奇妙な石の形を撫で、長年愛されてきた木々の葉を透かしてゆくとき、そこにはまるで幻の愛撫のような優しさがある。ここは過ぎ去った時代の庭だ。】※1

※1『知られぬ日本の面影』の引用文は、原文『Glimpses of Unfamiliar Japan』By Lafcadio Hearn より田辺青蛙が翻訳

 八雲は北西の部屋を書斎とし、学校から帰ると和服に着替え、煙管【きせる】を吹かしながら、庭を眺めていたそうだ。
 時間の授業での疲れを、縁側にしゃがみこんで庭を眺めるという、ただそれだけの楽しみで十分に癒すことができると書いており、彼が本当に心からこの家を愛していたことが著書からも伝わってくる。

 表門の玄関の両脇には八手【ヤツデ】の木が植わっている。
 これは、八雲の著書によると出雲では「手柏【てがしわ】」と呼ぶそうで、武家の玄関に見られるものだという。
 というのも、出雲では武士が参勤交代の供として家を離れなければならなくなったとき、出立の直前に焼いた鯛を手柏の葉に載せて、その家臣に供した。
 そして、壮行の宴が終わると、鯛を載せていた手柏の葉は、旅立つ藩士が無事に帰ってくるようにとの祈りを込めて、戸口の上にお守りとして吊るされた。玄関脇の八手はその名残なのだそうだ。
 北の部屋には八雲が使っていたという机(レプリカ)が置いてある。
 机と椅子の高さが合っていないのは、八雲が片目を失明していて残されたもう片方の目も近眼だったため、顔を紙にくっつけるようにして書いていたからだ。
 八雲は日本に来てからも視力が低下し、失明の危機に陥ったことがある。運よく名医に見てもらったことでその危機は回避されたが、異国で視力を失うかもしれないという恐怖は強くあったに違いない。もしかしたらそういう経験が盲目の琵琶法師の物語『耳なし芳一』の話の再話に繋がったのかもしれない。

 さて、話題がそれたので、家についての話に戻ろう。

 

 八雲の机の上には法螺貝【ほらがい】が置かれている。これを使って用がある時に別室にいるセツや女中を呼んだらしい。
 鈴や鐘でなく、法螺貝というところに八雲の茶目っ気を感じる。
 私は以前、奈良の吉野に行った時に修験者から法螺貝を借りて吹いてみたことがあるが、音はさっぱり出なかった。かなりコツがいると聞いたので、八雲も最初はこの家で法螺貝を練習したのだろうか。
 私が訪れたのは冬だったので、床の間に椿の花が活けられていた。
 八雲は椿にまつわる日本の言い伝えと不思議な話を『天の川縁起そのほか』の中の「古椿」でこう書いている。 

【古代の日本人は、 古代ギリシャ人と同じく、 花の精やハマドリュアス(樹木の精霊) を信じ、これにまつわる魅力的な物語を語り継いできた。また、邪悪な存在が宿る木   ― 妖木 の存在も信じられていた。そうした不思議な木の中でも、美しい椿(Camellia Japonica)は不吉な木とされていた。

 大ぶりで肉厚な真紅の花は奇妙な習性を持つ。花がしおれ始めると、茎から丸ごと落ちるのだ。そして落ちるときには「ドスッ」と音を立てる。古い日本人の感覚では、この重い赤い花が落ちるさまは、刀で斬られた人の首が落ちるのに似ており、その鈍い落下音は、切り落とされた首が地面に落ちる音にたとえられた。それでもなお、椿は艶やかな葉の美しさから日本の庭園で好まれ、花は床の間の飾りとして用いられた。ただし武家屋敷では、戦時には椿の花を床の間に飾らないという決まりがあった。

 このあと紹介する狂歌では、この妖椿が「古椿」と呼ばれていることに気づくだろう。若い木には妖気はないとされ、その性質は長い年月を経てから現れるとされた。他の不気味な木柳や榎など も同様に、老木になってから危険になると信じられた。動物についても同じような信仰があり、例えば猫は子猫のうちは無害だが、年を取ると妖しさを増すとされた。 

夜嵐【よあらし】に
血潮【ちしお】いただく
古椿【ふるつばき】
ほたほた落つる
花【はな】の生首【なまくび】

(夜嵐に揺さぶられる、血をいただいた古椿。ひとつまたひとつ、「ほたほた」と音を立てて落ちる花の生首よ)】※2

※2『 天の川縁起そのほか』の引用文は、原文『The Romance of the Milky Way and Other Studies』より田辺青蛙が翻訳 

 この後、女性に化けた古椿の話を八雲は紹介している。
 八雲も床の間に活けられた椿の花を見て、これが化けたら……と夢想したり、生首を連想しただろうか。

 そんなことを思いながら、屋敷内から見える3つの庭を眺めるうちにあっという間に時間が経ってしまった。
 八雲はこの家を好きになり過ぎたようだとまで書いているので、もしかしたらこの屋敷には何か人を魅入らせる魔性が住み着いているのかもしれない。

 

 この旧居、実は八雲が熊本へ発ってから5年後に当たる明治29年(1896年)、簸川郡郡長の役職を終えた元の持ち主・根岸干夫一家が戻ってきた時に増改築が行われている。
だが、その増改築された屋敷を、八雲が住んでいた当時の状況に戻して保存しようと、根岸干夫氏の長男、根岸磐井【ねぎし いわい】氏が決めたので、現在も当時の様子を知ることができるのだ。
 磐井氏は地元松江の尋常中学校から八雲のいた熊本の五高へ進み、その後帝国大へと進んだ。
 彼が何故、増築と改築を経た生家を 元に戻したかというと、偶然立ち寄っ た東京の丸善で『知られざる日本の面影』の原書『Glimpses of Unfamiliar Japan』上下巻を入手し、そこで自分に所縁【ゆかり】ある生家が魅力的に紹介されていることを知ったからだそうだ。

 八雲は『知られざる日本の面影』の中で、多くのページをこの家の庭の紹介に割いている。そして、最後にはこう締めくくっている。

【しかし、この家中屋敷もこの庭も、いずれはすべてが永遠に姿を消してしまうことになるだろう。すでにわが家の庭より広くて立派な庭の多くが、田んぼや竹林に変わっている。そして、長年の懸案であった鉄道が十年を待たずに敷かれることにでもなれば、古風で趣のあったこの出雲の町も大きく拡張され、やがて平凡な一都市へと変貌を遂げることになるであろう。そうすれば、わが家のような土地も工場や製作所の用地として差し出すことになるに違いない。

出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えゆく運命のような気がする。ことのほか日本で は、無常こそが物事の摂理とされ、変わりゆくものも、それを変わらしめたものも、変わる余地がない状態にまで変化し続けるのであろう。それを思えば 、悔やんでも仕方のないことだ。】※3

※3『知られぬ日本の面影』の引用文は、原文『Glimpses of Unfamiliar Japan』By Lafcadio Hearn より田辺青蛙が翻訳

 いつかこの美しい庭も屋敷も失われるだろうと八雲は感じ、悲しんでいた。 だが、百年を超えた今も当時の風情を 残したまま、変わらず屋敷も庭も遺されている。 この旧居は代々根岸家の人々の手に よって守られ、2 0 1 8年に松江市の 所有となり、根岸家の意思を継いで今もとても大切に保存されている。

八雲が愛した庭は根岸干夫の父・根岸小石(しょうせき)の手によって1868年につくられたものだ。縁側から美しい庭を眺めることができた。

 

最新号「建築知識」2026年1月号には「三軒目 小泉八雲避暑の家」が掲載されています。どうぞ今後もご贔屓に!


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著者プロフィール

 文・田辺青蛙(たなべ せいあ)

『生き屏風』で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。著書に「大阪怪談」シリーズ、『関西怪談』『北海道怪談』『紀州怪談』『魂追い』『皐月鬼』『あめだま 青蛙モノノケ語り』『モルテンおいしいです^q^』『人魚の石』など。共著に「京都怪談」「てのひら怪談」「恐怖通信 鳥肌ゾーン」各シリーズ、『怪しき我が家』『読書で離婚を考えた』など。主宰イベント「蛙・怪談ガタリ」はじめ、怪談イベントにも出演多数。

 絵・うめだまりこ

東京生まれ。英国・米国・日本でイラストレーター・絵本挿画家・漫画家として活動。ゲーム、絵本、映像作品など多岐にわたりアートを提供。著作に『渡英2年うめだまのイギリス自由帳』『流転7年うめだまのイギリス・アメリカ自由帳』(ともにKADOKAWA)、『Moon andMe :The Little Seed』(挿絵/Scholastic

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