京都、橋本に残る遊郭跡地。宿泊と茶摟を楽しめる妓楼建築がある。
金が落ちるところに素敵レトロ建築があるもの。お金が落ちるところってどこだ?
そう、遊郭だ。
その存在の意義はさておき、悲しいかな女性の最初の職業は娼婦だとも言われており、遊郭の歴史は古く人類の歴史とは切っても切れない存在である。
京都といえば日本一の古都。島原をはじめとしていわゆる遊び場はいくつもあった。外国人が日本らしさを求めてやってくるのもこのまちの舞妓さん見たさだ。しかしその京都らしい京都の中心部から少しはずれた京都府八幡市に遊郭として栄えたまちがある。京阪橋本駅から徒歩10分のところにある里、橋本遊郭跡だ。最盛期には約82軒もの妓楼が並び600名の遊女たちが所属していたという。なんといってもこのまちの発展は木津川(きづがわ)と宇治川(うじがわ)、桂川(かつらがわ)の3つの河川が合流する付近にあり、対岸の山崎(あのサントリー山崎で有名な)との渡しはしょっちゅう増水で止まっていた。
つまり大阪と京都を行き来する商人たちが、天候によって足止めを食らいやすい場所にある花街ということで大繁栄したのだ。
橋本に残る元遊郭建築のうち、高級遊郭と呼ばれる格式高い妓楼(ぎろう)は2軒。
そのうちのひとつが私たちが訪れた「三枡楼」だった。
この建物のすばらしいところはなんといってもふんだんに内装を彩られた硝子とタイル装飾だ。今では再現不可能な硝子窓や格子は、聖書の内容に沿うとおりいっぺんな教会のステンドガラスとは違って、美しい自然や動物からヌードの花魁までバラエティ豊かなデザインばかりであり、幸いなことにこの部屋を素泊まりで楽しむことができる。というのも、オーナーが大枚はたいて購入しすべて保存のために奔走してくださっているというから、ここはもう遊郭建築のひみつについてインタビューせざるを得ない。
もとは遊女たちの待機場所であったという1階ホール脇の部屋に案内されて、オーナーのお母さんにお話を聞いた。
政倉莉佳お母さんは中国撫順市生まれ。若い頃に来日し大阪の語学学校に通いながら日本語を覚え、日本人と結婚していまはお子さんやお孫さんたちと、ここ橋本の元遊郭で暮らしている。
その莉佳お母さんがなぜ日本の遊郭を?
聞けばお母さんの生まれた撫順はもともと満州国を日本が勝手に作ったかの地であり、戦前は大炭鉱地としても有名だった。中国史オタクで中国ドラマ大好きな私にとっては、ヌルハチ[※中国、清朝の初代皇帝。]の墓があるところじゃんくらいしか知識はないのだが、中国と言っても広大でさまざまな民族が暮らしている。お母さんが言うには、撫順の駅は戦前日本人が建てたもので、ありとあらゆる建物が老朽化に耐えきれずに壊れていくなかで、80年近く経ってもびくともせず、内装のタイル装飾がとにかく美しく、子どもの頃のお気に入りだったそうだ。周りにも日本人はたくさん暮らしていて、友人のなかには中国残留日本人孤児もいたという。中国というと反日感情や最近では不動産バブル崩壊というざっくりとした情報しかない私にとって、旧日本軍が建てた駅舎から生まれた日本へのポジティブなロマンが、遠く離れた京都八幡の橋本遊郭保存へお母さんを駆り立てるとは思いもしなかった。
これがフィクションがノンフィクションに勝てないリアルだと純粋に驚いた。
「枚方のタワマンで優雅に老後を暮らしていたけど、不動産屋にここに案内されてね。こんなすばらしいものを壊すなんてとんでもない! とタワマンの部屋を売却してここを買ったのよ」とお母さんはにこにこ笑いながら言った。
異国で暮らすというのはとにかく大変だ。コミュニケーションはとれても、役所の難しい手続きや病院通いなど、ネイティブでなければ体感百倍のしんどさ。それに加えてお母さんの場合2人のお子さんを育てなければならない。ようやっとお子さんが成人し、暮らしやすい部屋でゆっくり暮らそうというときになって、お母さんは出会ってしまった。この橋本遊郭レトロに。
「2階は雨漏りで床がめちゃくちゃになっていて、全部やり直したのよ」
いまでは宿になっている美しい硝子装飾の残る部屋に私たちを案内しながら、お母さんは言った。それだけではない。お母さんはこの家の改築が終わったあと、すぐ2軒隣の元遊郭も購入した。「中国の家を売ってお金を作ってね」。今度は自分たちでDIYしながらカフェをオープンさせた。そして私たちはさらにひみつの遊郭に案内された。それはお母さんが「買っちゃった」3軒目。まさに昭和30年代から時を止めたまま、手つかずで残されていた遊郭だった。同行していた産業遺産のプロも興奮していた。「ここはだれも知らないと思います!」
80年前に日本人の建築士や土木工事労働者が建てた駅の堅牢さに感動していた中国の少女が、日本の木造と硝子建築の極みである遊郭の保存活動に奔走している。あれから日本も中国もいろんなことがあったし、今だって政治的な問題はいくつもあって、悲しいかなこれからもきっとなくなることはないだろう。
けれど、人が素敵なところは、個人であればこうして言語や文化の違いを越える力があるということだ。お母さんは若い頃中国料理の店で働きながら学校に通いつつ日本語を覚えたらしい。
そして根付いたこの元遊郭の地で、旅館だけではなく持前の火療[※中国の伝統的民間療法]漢方エステの店を開き、すっかり地元にも溶け込んでいる。
お母さんに勧められて橋本駅前のレトロな洋食の店〞やをりき〞さんにご飯を食べにでかけた。そこで食べたとんかつ定食が本当においしくて、ひさしぶりに米粒一つ残さずおなかいっぱいになった。めちゃくちゃ安価な上にさりげなくついてくるサラダまでうまい。レトロな洋食屋は最高! そして胃袋が満たされた私たちは、再びお母さんの待つ遊郭建築へ戻った。まだ見たい。お母さんが案内してくれる3軒目のひみつの遊郭には、なんと船着き場もあった。船から直接店にあがって遊んでいたお大尽もいたのだろう。この店にはダンスホールまであった。こんな店はもう残っていない。それを私たちは見せてもらったのだ。
お母さんの故郷の撫順では、日本人が残した電車がまだ走っているのだという。昨今では撫順ではこの時代の遺構や電車を使って観光業をもりあげようという動きも盛んであるらしい。お母さんに地元のニュース番組の動画を見せてもらった。リポーターが「こんな素晴らしいタイル装飾は守らなくてはならない!」と力強く訴えていた。
「あんなすごい電車を作れる日本に絶対行ってみたかった」というお母さんの冒険はまだまだ続くようだ。ほかにはない内装の物件がたくさんあるので、DIY好きにもカフェを開きたい人にもお勧め。
今回も素敵な出会いをもたらしてくれたレトロだった。
infromation橋本の香(はしもとのかおり)
やをりき(矢尾力) |
連載『高殿円のひみつのレトロ-関西建築編-』が
読めるのは月刊『建築知識』だけ!
関西圏のレトロな建築物と、そこに息づく人・歴史・物語を綴る当連載。次回は建築知識12月号(2024年11月20発売)に『芦屋モノリス』を掲載します。
兵庫県の美しい住宅地・芦屋に佇む、旧 逓信省(ていしんしょう)で電話交換手たちが活躍した、美しいアンティーク建築の物語とは。お楽しみに!
高殿円先生のエッセイがもっと読みたい人はこちらもどうぞ!私の実家が売れません!定価 1,600円+税 著者 高殿円 ページ数 192 判型 四六判 発行年月 2024/7 ISBN 9784767832982 |
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【著者】
著者/高殿 円(たかどの・まどか)
兵庫県生まれ。2000年『マグダミリア三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しデビュー。13年に『カミングアウト』で第1回エキナカ書店大賞を受賞。主な著作に『トッカン』シリーズ、『上流階級 富久丸百貨店外商部』シリーズ、『カーリー』シリーズ、『シャーリー・ホームズ』シリーズ、『メサイア 警備局特別公安五係』『剣と紅 戦国の女領主・井伊直虎』『主君 井伊の赤鬼・直政伝』『政略結婚』『コスメの王様』『戒名探偵 卒塔婆くん』など。漫画原作も多数手がけている。
絵/コジマユイ
大阪府出身、東京都在住。近代建築画家/建築イラストレーター。主にボールペンを使って明治~昭和初期の近代建築や街中の古い建築を描く。2021年までに大阪の近代建築約60件を描
いた後、活動拠点を東京へ移す。大阪府立港南造形高等学校 総合造形科卒業、大阪芸術大学附属大阪美術専門学校 総合デザイン学科グラフィックデザイン専攻卒業
監修/前畑洋平(まえはた・ようへい)
宇治市出身、神戸在住。産業遺産コーディネーター。2009年に産業遺産を見学・記録するNPO法人J-heritageを立ち上げ、全国の産業遺産でツアー見学会・保存活用に関するイベントの企
画運営を行う。フォトグラファー、ライターとしても活躍。全国近代化遺産連絡協議会、鉱石の道推進協議会、近畿産業考古学会に所属。兵庫県地域再生アドバイザー、総務省地域力創造ア
ドバイザー、内閣府地域活性化伝道師