落武者狩り、埋蔵金、鍾乳洞に潜むもの…『八つ墓村』の間取りと建築を徹底考察。金田一さん、これが事件の舞台ですよ。

横溝正史(よこみぞ せいし)が生んだ名探偵・金田一耕助(きんだいち こうすけ)。金田一耕助勉強家の木魚庵(もくぎょあん)先生の連載『金田一耕助の間取り』を【建築知識】にて好評連載です。当連載では金田一耕助の事件簿に登場するミステリな建築物の間取りを徹底考察します。間取りがわかればミステリはもっと面白い!
記念すべき連載第一回に掲載した『八つ墓村』を全文公開します。
美しいイラストは一級建築士・本間至さんの描きおろし。連載では掲載していないイラストもカラーで公開します。ぜひ最後までお楽しみください!

文・木魚庵 イラスト・本間至

『八つ墓村』のあらすじ

 戦国時代に8人の落ち武者を惨殺し、「八つ墓村」と呼ばれるようになった村。20数年前には落ち武者襲撃の首謀者の子孫である田治見要蔵が、村人を32人虐殺し行方不明となっていた。昭和2X年、要蔵の忘れ形見として田治見家に迎えられた寺田辰弥は、目前で親族や村人たちが次々と不審死を遂げ、連続殺人事件の渦中へと巻き込まれていく。

『八つ墓村』より田治見家の外観

屋敷の正門を入り進むと、母屋のファサードが見えてくる。左側の出入口は普段使いの玄関として使い、そこから土間スペースに入ることができる。右側の出入口は当主および大切な客人を迎えるための表玄関となっている。

『八つ墓村』より田治見家の間取り

『八つ墓村』の間取りと建築を徹底考察

 横溝正史『八つ墓村』は、一九四九(昭和二十四)年から一九五一(昭和二十六)年にかけて発表された。

 被害者がなぜ殺されるのか、動機の共通性がないミッシング・リンクの殺人を扱った本格ミステリの骨組みは守りながら、戦国時代の落武者狩りや埋蔵金伝説に加えて、村の地下に迷宮のようにはりめぐらされた鍾乳洞内での冒険など、伝奇ロマンの要素をふんだんに盛り込んだエンターテインメント作品となっている。

 金田一耕助シリーズ中でも抜きん出て数多く映像化されているが、中でも一九七七(昭和五十二)年に渥美清の金田一耕助で公開された映画は大成功を収めた。その映画で多治見家(原作では「田治見」だがこの映画では「多治見」)の外観の撮影が行われたのが、岡山県高梁市にある広兼邸だ。山の中腹に高い石垣を築き、訪れるものを見下ろすような形で建てられたその屋敷は、まさに村でいちばんの分限者の家にふさわしい威容を誇っている。金田一耕助が駆けつけるような事件が起きるには、これ以上ないほどピッタリなたたずまいといえよう。事実、広兼邸は七七年版「八つ墓村」の公開以降、田治見家だけではなく他の横溝映像作品でも事件が起きる素封家(そほうか)の屋敷として定番のロケ地となっている。

 広兼家は銅山経営と紅殻(ベンガラ)の原料となるローハの製造により莫大な富を築いた。山林資源と放牧が主な産業の八つ墓村の田治見家よりもかなり羽振りがよかったと思われる。しかし、その邸宅は山の中腹という広さの限られた場所に建てられたため拡張性に乏しかった。高梁市には、広兼邸と同じくローハによって財を成した西江家の屋敷が保存されているが、西江邸の敷地面積が約三千坪なのに対し、広兼邸の敷地は約七百八十坪と、およそ四分の一の面積にとどまっている。つまり、八つ墓村の田治見家は広兼邸よりずっと広大な敷地に屋敷を構えていたことが想定されるのである。

八つ墓村の俯瞰図

 八つ墓村の生業(なりわい)は広大な山林を活かした炭の産業と畜牛である。
 八つ墓村は、伯備線のN駅からバスで一時間、さらに峠越えの道を半時間歩いた先の岡山県と鳥取県との境の、すり鉢の底のようなくぼ地に存在しているという設定である。平地が少なく、田畑は猫の額ほどの狭さに加えて牛の侵入を防ぐため水田のまわりを柵で囲っている。牛は放牧が基本とはいえ、村のあちこちには牛舎も建てられていたであろう。そんな貧しい村の富を一手に掌握していたのが、代々村の分限者として君臨していた田治見家である。

田治見家の俯瞰図

 田治見家では山方(やまかた)、牛方(うしかた)、河方(かわかた)といった奉公人を多数抱えていた。山方は文字通り山へ入って木を切ったり炭を焼いたりする係で、牛方は牛の世話係である。面白いのは河方という役目で、作中には「舟に炭だの材木だのを積んでN駅まで運び出す係り、ちかごろではN駅まで運び出せばよいが、昔はずっと下まで河を下ったということである」とある。

 N駅というのは地理的に新見(にいみ)駅のことと思われる。岡山県の地図を見ると、鳥取県との境から高梁川が流れており、新見を経由して伯備線沿いに倉敷まで流れている。すり鉢の底のような八つ墓村にも渓谷があり、その流れは高梁川に連なっているのだろう。次期当主として田治見家に迎え入れられた本作の主人公、寺田辰弥が田治見家の財産を調べたところ、「小作に預けてある分を別としても、百二十頭からの牛を山へ放ち飼いにしてある」ことがわかった。本文には「成牛一頭、当時の相場で十万円はくだらぬ」と書かれてあり、続けて「しかもそれは田治見家の財産の十分の一にも当たらぬという話であった」とあるので、田治見家の資産がどれほどかが計算できる。

 本作では、尼子(あまご、室町・戦国時代に山陰・山陽地方を治めた大名)の落武者たちが隠したという埋蔵金が大きなテーマとなっており、作中の時価で試算すると約千七百万円(現在の貨幣価値に換算すると約三億五千万円)となるのだが、田治見家の資産はそれを何倍も上回っており、夢のような埋蔵金伝説をあてにする必要ははじめからなかったのだ。

それでは、いよいよ田治見家の屋敷の構造を見ていこう。

成人してからはじめて田治見家を訪れた寺田辰弥が語る全景の描写からも、その巨大な規模がわかる。

「はじめて見る私の生家というのは、予想を越えてはるかに大きなものであった。何かしらそれは巨大な巌(いわお)といった感じの、どっしりとした重量感と安定感をもった建物で、土塀(どべい)をめぐらせた邸内には、亭々(ていてい)と天を摩(ま)す杉木立ちが、うっそうとしてそびえていた」

土塀と杉の様子

 田治見家の表座敷は十二畳二間続きになっており、法事など客をもてなす行事ではこの座敷を使用している。座敷にあがれるのは田治見家の親戚や村のおもだった連中で、小作人や奉公人たちは台所そばの土間で飲み食いをしている。お膳を出す都合上、台所と表座敷はわりと近く、それぞれの話し声が聞き取れる位置にあるという。
 玄関には次の間がしつらえてあり、客が身支度を整えられるようになっている。

 末期の肺病を患っている当主田治見久弥は、中二階のような薄暗い裏座敷に寝かされているが、中二階の座敷にも庭があり、季節柄あじさいが咲いているのが見える。古い屋敷で中二階の裏座敷といえば、女中部屋や物置として作られたと想定して間違いないと思われるが、中二階にまで庭があるのは、田治見家も山の斜面を利用して建てられていることの傍証となるかもしれない。肺病を患っているとはいえ一家の当主がそんな部屋に押し込まれているのはあまりにわびしい。裏座敷の広さは特に書かれていないが、原作では病人を取り巻いて七人もの大人が座についており、それなりの広さはあったことだろう。久弥の大伯母で、田治見家を切り盛りしている双子の老婆、小梅・小竹が寝起きしているのは母屋からいちばん奥まった八畳と六畳の二間である。

 ほかにも辰弥が突然の来客である金田一耕助を通したのは、人の出入りの少ない六畳間で、物語に登場した部屋数だけでも相当な広さの家であることがわかる。
 さらに別棟には山方や牛方が寝起きする奉公人棟があり、敷地内にはかつて辰弥の母・鶴子が監禁された土蔵や尼子の大将をお祀りしている祠(ほこら)などが建っている。

左から田治見家の母屋、渡り廊下、離れ。母屋と離れ座敷は、長さ15間(約27メートル)の渡り廊下でつながっている。廊下の両端には扉がついており、離れ側の扉には廊下側から施錠できるようになっている。

 辰弥が居室として与えられたのは、母屋とは十五間の長廊下を隔てた十畳と十二畳の二間つづきの離れ座敷だった。一間を約一・八メートルと換算すれば、十五間は二十七メートルもの長い長い廊下で、つきあたりから三段ほど上がって座敷に入る構造になっている。しかも座敷の手前には錠がおろせる戸までついている。十五間の長廊下にお錠口とは大奥さながらの仰々しい造りだが、それもそのはず、この離れ座敷は田治見家の先祖に旧幕時代のご領主のお手つきとなった娘がおり、その娘のもとに領主がお忍びで訪れてくる逢瀬の間として建てられたといういわくつきである。

辰弥が居室として与えられた二間つづきの離れ座敷

 実はこの離れ座敷こそ、辰弥が産まれた部屋だった。鶴子は、田治見家の先代当主要蔵によって拉致同然に屋敷に押し込められ、日々責めさいなまれているうちに辰弥を身ごもったのだ。

 十二畳の間には床の間があり、白衣(びゃくえ)観音の大きな掛け軸がかかっている。床脇の違い棚の壁には般若(はんにゃ)と猩々(しょうじょう)の能面がかけてあり、欄間(らんま)には「鬼手佛心(きしゅぶっしん)」と書かれた額が掲げられている。十畳の間を区切る襖には漢画と大和絵の手法をとり合わせたような山水が描かれている。

 

 そしてこの座敷でもっとも目立つのは、六曲一隻(ろっきょくいっせき)の「三酸図(さんさんず)屏風」である。儒教、道教、仏教の英傑が一堂に介した図案で、ほぼ等身大に描かれているとあるから相当大きな屏風だったはずである。

 この離れ座敷では、以前より奇妙な出来事が起きていた。

 誰も出入りするはずのない部屋なのに、調度の位置が変わっているなど違和感を覚えた辰弥の姉・春代が、奉公人を離れ座敷に寝泊まりさせてみると、真夜中に屏風に描かれた坊主が抜け出たというのである。 
 これは後に、納戸の抜け穴を通じてある人物が座敷を訪れていたことが判明するのだが、その人物が部屋のどこから出入りしていたか、ついに作中では述べられなかった。納戸の出入口から縁側を通ってふつうに部屋に入ってくる方法は作中で否定されている。屏風のものかげに納戸へと通じる秘密の通路があるはずなのだが、その説明がないのだ。あまりに壮大な作品の物語を収束させるため、細かい謎の解説は取り残されてしまったのだろう。 
 しかし作中の記述にわずかな伏線が残されている。室内の異変に気づいた春代が、誰にも内緒で調度の位置を自分だけにわかるように配置した結果、たしかに誰かがそれらを動かした痕跡が残っていたのである。

 「屏風の位置がほんの少しですがちがっていたり、違い棚の地袋がぴったりしまっていなかったり……それでいて、雨戸には少しも異状はないんですの。それでわたし、気の迷いかしらとも思いましたが、やっぱり気になるもんですからお島にも内緒でわざと地袋を少しあけておいたり、屏風の位置を畳のへりでちゃんときめたり……つまり、もしほんとうにだれかが入ってきて、地袋や屏風にさわったら、すぐわかるようにしておいたんですの」

  この部屋を訪れた人物は、屏風に用事があって部屋を訪れていたことが後に判明している。しかし違い棚の地袋はまったく関係ない。実は、違い棚の壁にかけられた般若の面は、納戸から室内を見るためののぞき穴になっていた。つまり床の間と違い棚がある壁の向こう側が納戸になっていた。そして床脇の地袋が互いの部屋をつなぐ秘密の通路となっていることが推理できるのである。

 元来地袋というものは、人間が潜りこめるサイズにはできていないはずだが、秘密の通路として作用するよう大きく作られていたのかもしれない。

般若の面の秘密。地袋(じぶくろ)とは床に接して設けられる扉、または戸のついた造り付けの戸棚のこと。

 そんな絢爛豪華な離れ座敷になぜか納戸が併設されている。座敷の外側をぐるりと囲んだ縁側の先に、便所と並んで納戸に入る杉戸のくぐりがしつらえてある。「八畳ばかりの板の間の部屋」とあるからご領主がお忍びになる逢瀬の間には似つかわしくない。しかも八畳間のほぼ中央に大きな長持が固定されており、使い勝手もよくなさそうだ。

 実はこの長持の底が抜け穴となって鍾乳洞へと通じており、いざというときにはご領主をここから逃がす算段となっていたのである。

離れの奥の納戸に置かれた長持。その長持ちの底床を開けると、石段が下に向かい地下道へとつながり、離れの裏にある祠へ抜けることができる。そして、地下道の途中には、天然の鍾乳洞につながる石の扉がある。

 辰弥が抜け穴を発見し、鍾乳洞へと分け入っていくようになってから『八つ墓村』の作品世界が一気に広がり、本格ミステリから冒険ロマンへと大きく羽ばたくことになる。

鍾乳洞の壁の一部の、床から3尺ばかりの高さの所に、鎧武者がひとり、昔の武者絵の大将のように座っており、甲冑の中は半ばミイラ化した人間の死体であった。

『金田一耕助の間取り』は建築知識で連載中!

金田一耕助の事件簿に登場するミステリな建築物の間取りを徹底考察する当連載。次回は建築知識11月号(20241020発売)に『女王蜂』を掲載します。
「彼女は慕いよる男を死にいたらしめる女王蜂である」という脅迫状に沿った形で婚約者候補が次々と殺されてしまうヒロインを取り巻く謎と数々の建築とは。お楽しみに!

金田一さん、『犬神家の一族』の間取りもありますよ。

シャーロック・ホームズ研究家の北原尚彦氏と一級建築士の村山隆司氏が17の事件を題材に、物語の中に登場する建物を徹底考察。
コナン・ドイルの書いた文章を分析し、解読し、間取りの細部に至るまで緻密に建築を設計した。
この本を読めば、ホームズの生きたヴィクトリア朝の英国建築が分かる。
建築が分かればシャーロック・ホームズ・シリーズはもっと面白い。
さぁ、この本を読んで謎解きの旅に出かけよう。

シャーロック・ホームズの建築

定価 2,000円+税
著者名 北原 尚彦(文)  村山 隆司(絵・図)
ページ数 221
判型 A5判
発行年月日 2022/02/21
ISBN 9784767829777
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10月号の「金田一耕助の間取り」は『迷路荘の惨劇』を掲載しています。迷路のように入り組んだホテルの中で起こる惨劇の数々…不可思議な間取りをひもときます。

建築知識24/10 棚がなければ暮らしていけない Life Shelf

定価 1,800円+税
ページ数 130
判型 B5判
発行年月日 2024/09/20
ISBN 4910034291045
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「建物」にまつわる怪の話を集めた、加門七海待望の怪談実,
話集。幻の連載『引越物語』に加えて本書のために新たに4編を書き下ろし。
自らの引っ越しにまつわる不思議な出来事や、自宅での恐怖体験、訪れた文化財で出会った“この世ならざるモノ”、東京の最新風水事情考察など、妖しくも興味深い実話怪談が満載!

たてもの怪談

定価 1,500円+税
著者名 加門 七海
ページ数 260
判型 四六https://www.xknowledge.co.jp/book/4910034290949
発行年月日 2016/08/01
ISBN 9784767822037
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著者プロフィール

文・木魚庵(もくぎょあん) 

金田一耕助勉強家を自称。著書に『金田一耕助語辞典 名探偵にまつわる言葉をイラストと豆知識で頭をかきかき読み解く』(誠文堂新光社)。ほか『金田一耕助 The Complete』(メディアファクトリー)、『横溝正史研究』(戎光祥出版)、『別冊太陽 横溝正史』(平凡社)などに金田一耕助関連の記事を執筆。

 絵・本間 至(ほんま・いたる) 

1956 年東京生まれ。一級建築士。1979 年日本大学理工学部建築学科卒業。1986 年まで林寛治設計事務所で実務を通し住宅設計を学ぶ。独立後、本間至/ブライシュティフト(一級建築士事務所)を設立し、150 軒以上の住宅の設計を手がけ、暮らしやすい間取りをつくる住宅設計者として高い評価を得ている。主な著書に、『最高に楽しい[間取り]の図鑑』『本間至のデザインノート』『小さな家の間取り解剖図鑑』(すべて小社刊)などがある。